宣教師と妻と母の3つの帽子をかぶりながら奮闘中の宣教主婦、尾関祐子のブログです。北米での日本人宣教と帰国者のフォローアップの宣教団体、JCFNで働いています。JCFNの詳しい働きについては、www.jcfn.orgへ。


by yukoozeki

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正確に言うと、南カリフォルニア教会連合結成から100周年、ということなのですが。

大会そのものには全部でられず、途中で抜けてしまったものの、お昼の時に同じテーブルで聞いたお二人のご婦人方のお話がとても印象的だったので書き留めておきます。

お一人はたまたま2ヶ月ほどこちらに来られていた方。
牧師家庭で生まれ育ち、お父様が戦時中、アメリカにいる日本人への宣教の為、わざわざ日本から3年間ほど単身でこちらに来られていたことがある、とのこと。

その間、彼女をはじめ、9人(!)のお子さんを抱えたお母様は、広島に残り、子どもを育てながら3年間ご主人の留守を守って牧会されたそうです。

それだけでも、すごい!とびっくりしながら話を聞いていたのですが。

戦争がひどくなり、岡山に疎開した直後に、原爆が落とされ、その教会は跡形もなくなり、教会の方々もほとんど亡くなってしまいました。

その方は当時たった4才だったそうですが、アメリカから帰ってきたお父さまが、焼け跡から取り出された教会の瓦を握りしめながら、ひどく落ち込んでいたことをよく覚えているそうです。

もう一人の方の話は40年近く前に、アメリカにわたった来られた新1世の方の話。
当時、今あるミッションバレーフリーメソジスト教会は、LAフリーメソジスト教会、という名で、LAダウンタウンにあったのだ、と。

日系1世のおばあちゃまたちが、近くの青果市場に野菜を売りに行き、ほそぼそと生計を立てつつ教会を支えていて、毎週のように手作りのクッキーを焼いて、彼女と子どもたちにくださったのよ、と話してくれました。

でも、ある時その教会は火災事故で全焼。

そこでへこたれないのが日系1世クリスチャンたち。(すごい)当時少しずつ開け始めてきた、サンガブリエルに土地を移して、教会をもう一度立て直したのだそうです。

「でも、いい決断だったと思うわ。その頃からどんどん豊かになっていった日系人2世たちはダウンタウンを離れて、アルハンブラとか、モントレーパークに移っていったからね。」

「え?そうなんですか?でも、今ミッションバレー教会の周りはまるで中国みたいになってますよね。」

「そうね、でもその当時は白人がとても多い土地だったのよ。....」

へ~~~~~。

いやいや、彼女たちの口からでてくる言葉はそのまま、まさしく南カリフォルニアの宣教の歴史絵巻のようでした。

留学生として最初日本からこちらに来た時には何も知らなかったアメリカにおける日系人の歴史ですが、図らずも17年もアメリカで生活し、子どもを生み育てながら、移民1世としてのアイデンティティが少しずつ培われてきている今だから、こういう話に興味を惹かれるようになったのかもしれません。

ちなみに、今日の大会で賛美リードをしてくれたNくんは、お父様が昔LAに留学中クリスチャンになったそうです。彼はその信仰を継承し、今アメリカで生活しながら、日本人教会に仕えています。

そして、今回の大会の会場となった教会は、かつては日本人教会だったけれど、時代と共に、「日系人」へのこだわりを捨て、アジア系アメリカ人宣教へと大きく舵を切り直して大成功した大きな教会。

100年、とひとくくりにしつつも、そこに関わる色んな人達がいたんだなあと。
先駆者として、出て行った1世たち、戦争でアイデンティティを問われた2世たち、彼らのために海をわたって日本からはるばる宣教に出かけていった牧師たち、私たちのように、すでに社会でのステイタスが確立されてからその恩恵に預かっている新1世、そして留学生たち....。

いろんな人達がそれぞれに神様の前に召された場所で、大きくても小さくてもその宣教の働きを担っていたのだ、と改めて思わされました。

今、在米留学生の数はピーク時の半数、駐在の数も減りつつある中、それでもここに置かれ、特に日本人がたくさんいるオレンジカウンティのアーバインのすぐ近くに住んでいて、アメリカで救われ、日本に帰国する人たちを対象にしたミニストリーをしている、という今の自分の状況の中でなすべきことはなんだろう。

歴史を少し知り、今の自分の立場となすべきことを考える事のできた、貴重な一時に感謝。
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by yukoozeki | 2013-11-03 13:47 | Daily Ministry